「気持ちの良い笑顔・大きな声で挨拶を」


2022年になり、自分自身気の引き締まる思いであります。 
例年、1月は忘れられない出来事を思い出し、寂しく、悲しい気持ちにさせられます。
それは、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒に発生した阪神大震災により6,434人の犠牲者が出たことです。その当時、私は西宮の駅近辺に住んでおりサラリーマンとして勤めていた企業の社員寮に在住していました。寝ていた時、戸棚の本が頭にぶつかり目を覚ましました。経験したこともない揺れに驚き、すぐさま外に出ました。すると、近所の家は倒壊しており助けを求める声が聞こえたので、その場に行き、家の窓を蹴り壊し住民を助け出しました。次に屋上に行き廻りを見渡すと、北は黒煙、南は阪神高速道路が倒壊しており無残な姿に変貌しておりました。気が動転して何が起こったかまだ分からないままで、現実を受け入れることが出来ませんでした。
それから、西宮市役所の救助養成があり、市役所に行き市職員の指示によりがれきの清掃に作業車で所定場所に向かいました。到着すると、がれきの清掃だけではなく、人命救助並びに倒壊した家の下敷きになられている亡くなられた方の移動でした。初めてでした。軍手もなき素手で亡くなられた方を安置所も整備されていない手作りの仮設小屋に移動しました。その時の幼い子供が両親を亡くして悲しむ姿など今思い出しても心が痛みます。震災から3ヵ月が立ち、がれきは残っていましたが落ち着きを取り戻しつつある時、勤務場所の近くで小学6年生の男の子がスコップとバケツを持って焼けた跡地に現れ、地面を掘り出しました。近くにいた方に聞いてみると、ご両親の遺骨を探しに来たらしいとお話しされました。声を掛けるべきか悩みましたが、私の方から声をかけてみると、大きな声で「お早うございます。」そして終始笑顔を絶やさずしている姿でした。それは、現状を受け入れてようと努力している姿に見えました。その子供さんが笑顔で大きな声で挨拶をされている姿を見て自分自身が何も受け入れる力のなさに情けなくなりました。
私は、震災から27年の歳月が立った今になって、その子供さんの姿をいつも思い出し、その姿を見習い、それから大きな声で挨拶をすることが日課になりました。すると、他の人はもとより自分自身に元気が出てきて、徐々にですがどんな苦難に遭遇しても立ち向かう力が身に付きました。
よくよく考えれば、子供さんは、笑顔で大きな声での挨拶を通して、「元気を出して、何事にも取り組んでほしい」と思いを伝えていたのだと感じます。現状を分かっておっても、行動が出来ないつらさを身に沁み、今現在経営者になり、仕事の上で苦難は付き物をモットーに、弊社では苦難にくよくよしないためにも笑顔で大きな声での挨拶をより一層実践・強化して参ります。

株式会社池本
代表取締役 池本和正

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